カテゴリー: スポーツ

<五輪ジャンプ>葛西、風に乗れず 悔しい結果に 《葛西紀明、ヒルサイズ、男子ラージヒル》

 平昌五輪第9日の17日、ジャンプの男子ラージヒル(ヒルサイズ=HS142メートル)があり、葛西紀明(土屋ホーム)は121メートルで、上位30人による2回目に進めなかった。

 一見すると風は穏やかだが、テストジャンパーたちが「いろんな方向から吹くので難しい」と口にしていたこの日のジャンプ台。葛西は迫り来る着地バーンに降りまいと粘り、必死にテレマーク姿勢も入れたが、無情にもK点の4メートル手前で落ち「ちくしょう」と顔をゆがめた。

 2回目進出を逃すのは2002年ソルトレーク五輪以来。「風の当たり外れがある。当たらなければあきらめも付く」とコメントした。前日の予選を22位で終え「メダルまではもう5メートル、7メートルくらい必要」と分析して本戦を迎えた。本番直前の試技をただ1人飛ばず集中力を高めて臨んだが、飛行曲線は普段より低く、悔しい結果になった。

羽生結弦「僕はアイドルじゃない」孤独と犠牲の上に涙の66年ぶり連覇 「ショートプログラム、江陵アイスアリーナ、フィギュアスケート男子」

◆平昌五輪第9日 ▽フィギュアスケート男子フリー(17日・江陵アイスアリーナ)

 男子フリーが行われ、ショートプログラム(SP)首位の羽生結弦(23)=ANA=がフリー2位の206・17点、合計317・85点でディック・バトン(米国)以来66年ぶりの連覇。冬季五輪通算1000個目の金メダルとなった。SP3位の宇野昌磨(20)=トヨタ自動車=は202・73点、合計306・90点で銀メダル。冬季五輪では表彰台を独占した1972年札幌大会スキージャンプ70メートル級(笠谷幸生、金野昭次、青地清二)以来2度目の日本勢ワンツーフィニッシュとなった。

 何度もガッツポーズを繰り返し、氷上で羽生が雄たけびを上げた。まだフェルナンデスと宇野の演技が残っていたが、勝利を確信した。右足首をさすり、氷を3度叩いた。「ここまで来るのに大変だったんで、いろんな思いがこみ上げた。本当に右足が頑張ってくれた」。66年ぶりの連覇が決まると、みるみる目に涙がたまり、こぼれ落ちた。

 演技構成は当日の朝に決めた。サルコーとトウループの2種類4本の4回転。難易度の高いループは回避した。「自分が本気になれるプログラム」を追求してきた。挑み続けることが性分だが、それ以上に勝利にこだわった。「跳びたいとか跳びたくないとかいう以前に、何より『勝ちたい』だった。勝たないと意味がないので、この試合は。これからの人生でずっとつきまとう結果。本当に大事に、大事に結果を取りにいった」

 作戦は奏功した。映画「陰陽師」の音楽で演じる「SEIMEI」に乗せ、冒頭のサルコー、続くトウループはともに最大加点の3点を引き出した。ソチ五輪のフリーでは2度転倒したが、この日は8本のジャンプすべてを着氷。最後の3回転ルッツは着氷が乱れたものの、痛めていた右足でこらえ「右足に感謝しかない。ソチ五輪のときは勝てるかなっていう不安でしかなかったけど、今回は何より自分に勝てた」。故障明けで4か月ぶりの実戦というハンデを乗り越え、冬季五輪の個人種目で日本人初の連続金メダルに輝いた。

 昨年11月のNHK杯前日練習で右足首を負傷。この1か月は痛み止めを服用しながらギリギリの調整を続けていた。韓国入りの1週前には薬の強度を上げた。戦いを終え、口にした。「本当に大変だったので。思ったよりも」。最初の診断は靱(じん)帯損傷。1か月後には腱(けん)と骨にも炎症があることが発覚した。2か月も氷から遠ざかり「体力よりもスケートに乗ることの不安の方が大きかった」。氷上へ戻ったのは年明けだった。最初の日はスケート靴を履いて氷の上に立っただけ。翌日は軽く滑っただけ。もう一度痛めれば連覇の機会は奪われる。慎重に進めていくしかなかった。

 陸上でジャンプのフォームとイメージを固めることに注力した。恐怖心はあった。3回転を跳び始めたのは3週間前。4回転は2週間から2週間半ほど前。得意のサルコーは、右足を体にうまく引きつけることができずに2回転でも苦戦した。4分半のフリーを滑りきるスタミナも不安要素だった。陸上ではチューブを使ったトレーニングを中心に筋力を維持した。右足に負担がかからないようにしながら、陸上で曲かけを繰り返した。関係者に「4分半持つ体力はつけてきたから大丈夫」と告げた。

 2011年3月11日、地元・仙台での練習中に東日本大震災に遭った。スケート靴のまま、泣きながらはって外に逃げた。自宅は半壊し、家族で避難所暮らしも体験した。リンクが復旧するまでの4か月は、60公演ものアイスショーに出演しながら練習を続けた。「あれ以上に苦しいことも悲しいこともない」。たくさんの応援に触れた。だから自身のスケートはいつも、周囲への感謝の気持ちが源になっている。

 ソチ五輪以降は、リンク外でも注目を集めるようになった。週刊誌に追われることも増えた。戸惑った。「僕はアスリートなんですけど。スケートしたいだけなんですけどね。スケートとプライベートって全く関係ないし、僕はアイドルじゃない。まあ、そのうち人気はなくなるんで大丈夫ですけど。現役のうちだから」。そう漏らしたこともあった。孤独を覚えることもあった。どんな時も、スケートが支えだった。

 12年に拠点をカナダ・トロントへ移した。自宅とリンクを往復する日々は今も変わらない。コンサートにもスポーツ観戦にも出かけたことはない。昨季のSP、プリンスの「レッツゴー・クレイジー」で、観客との一体感を味わった。しかし観客として、その興奮は知らない。「コンサートもライブも行ったことがないので分からない」と笑った。スポーツの現場に足を運んだのは、J1仙台のキックイン(始球式)とプロ野球・楽天の始球式だけ。犠牲にするものも多かった。スケートで勝つことに全てを費やしてきた。

 「前人未到」という言葉が大好きだ。「圧倒的に勝ちたい」「劇的に勝ちたい」が口癖だ。今大会日本の金メダル1号は、冬季五輪通算1000個目の金メダルでもあった。「スケートを愛しているし、すごく幸せ。僕が一番大切にしている大会でまた、金メダルを取れたことを誇りに思う」。故障だらけの4年間を、強い気持ちで乗り越えてきた。新たな羽生伝説の誕生だった。(高木 恵)

 ◆羽生 結弦(はにゅう・ゆづる)1994年12月7日、仙台市生まれ。23歳。射手座にちなみ「弓に結ばれた弦のように凜(りん)と生きて」と名付けられた。14年ソチ五輪で日本男子初のフィギュア金メダル。世界選手権は14、17年に優勝。13~16年にGPファイナル4連覇。SP、フリー、合計でいずれも世界歴代最高記録を持つ。172センチ、57キロ。

東京五輪の開会式、夜間実施へ…午後8時開始か【田村 正和、田村 淳】

 2020年7月24日に行われる東京五輪の開会式が、夜間に実施される方向で固まった。

 複数の大会組織委員会関係者が16日、明らかにした。1964年東京、72年札幌、98年長野はいずれも昼間に行われ、日本で開く五輪の開会式が初めて夜に行われることになる。

 東京大会は酷暑の時期に開催されるため、立候補段階で午後8時開始の案をまとめていた。関係者によると、午後8時に開始された2016年のリオデジャネイロ五輪開会式を参考に最終調整されているという。

 東京五輪・パラリンピックの開閉会式の演出などを検討するチームのメンバーが平昌五輪開会式を視察し、夜間実施に向けた準備を進めている。組織委幹部は「開会式では選手も観客も心地よく会場にいられるような時間を作っていきたい」と話している。

羽生 涙の金メダル ぶっつけで66年ぶり連覇達成 SP首位から逃げ切り(2018年平昌オリンピックのフィギュアスケート競技・男子シングル、宇野昌磨)

 ◇平昌冬季五輪 フィギュアスケート男子フリー(2018年2月17日 韓国・江陵アイスアリーナ)

 平昌五輪は17日、フィギュアスケート男子フリーが江陵アイスアリーナで行われ、ショートプログラム(SP)首位の羽生結弦(23=ANA)は206・17点、合計317・85点とし、金メダルを獲得。五輪男子66年ぶりの2連覇を成し遂げた。

 先に滑り終えた羽生は控室で最終滑走・宇野の演技を見守った。金メダルが決まると、感極まって涙を浮かべ、テレビカメラに向かって「ありがとうございました」とつぶやいた。オーサー・コーチと抱き合い、喜びをかみ締めた。

 セレモニーを前に、銅メダルのフェルナンデスも加わり、メダリスト3人で輪を作るようにハグを。ジャンプして一番高い表彰台に上がった。

 この日のフリーは、気迫のこもった表情でリンクへ。冒頭の4回転サルコーは流れるように着氷、続く4回転トーループも余裕があった。3回転フリップも決め、序盤のジャンプはすべて成功。ステップシークエンスで魔物をはらう陰陽師の世界を作り上げた。

 ジャンプの基礎点が1・1倍になる後半。後半最初の4回転サルコーと3回転トーループの連続ジャンプに成功したが、連続ジャンプを予定していた4回転トーループの着氷で大きくバランスを崩し、2本目が跳べなかった。得意にしているトリプルアクセルからの3連続ジャンプで立て直し、最後のジャンプだった3回転ルッツは着氷で前のめりになりながらもこらえた。

 ミスはあったものの、表現力を示す演技点は5つの項目すべて9点台の後半を揃え、10点満点をつける審判も。大歓声と拍手の中で演技を終えると、感情を爆発。何かを叫び、戦い抜いた右足首にそっと両手を添えた。

 昨年11月のNHK杯公式練習中に右足首を負傷し、SPは同10月のロシア杯以来118日ぶりの実戦復帰。4回転2つを含む3つのジャンプを完璧に決める驚異的な滑りを披露。自身の持つ世界歴代最高得点112・72点に迫る111・68点を叩き出した。

 17日午前8時25分からの公式練習は、計22本のジャンプを跳んだ。4回転はトーループとサルコー各5本の計10本。サルコー1本の着氷が乱れただけの高い成功率。ループは跳ばなかった。

ビール会社がジャマイカ・ボブスレーチームを救済。発端はSNS(将棋、朝日杯将棋オープン戦)

コーチの突然の辞任で使用ソリがなくなり出場が危ぶまれていたジャマイカの女子2人乗りのボブスレーチームに救世主が現れた。USAトゥデイやNBCスポーツなど複数の米国メディアが明らかにしたもので、ジャマイカの首都キングストンに本社を持つビール会社のレッドストライプが新しいソリの提供をジャマイカに持ちかけて、すでにチームは、そのソリを受け取ったという。

 ジャマイカは、ドイツ人のサンドラ・キリアシス・ドライバーコーチが突然、チームを離脱、チームは、同コーチの所有するラトビア製のソリを使用していたが、離脱と共に使うことができなくなり出場危機に追い込まれていた。
 NBCスポーツによると、そのニュースを見たレッドスプライプ社は、SNSのツイッターを使って支援を呼びかけ、ジャマイカサイドが反応。すぐさま交渉がスタートして、ジャマイカドルで、700万ドル相当、米国ドルで5万6000ドル(約610万円)での支援がまとまり、ジャマイカは、新しいソリを受け取ったという。

 ボブスレー協会のクリス・ストークス会長は、同紙に「レッドストライプ社からボブスレーを受け取った。彼らの誠意を受けて準備を進めている。チームは、すでに競技に出場する段階に入っており、精神的にも身体的にも準備を整えてスタートラインに立つというゴールへ向けて集中している」と語っている。

 同紙は、「ジャマイカチームは、五輪デビューの数日前(15日)にコーチとソリという1つのみならず2つの重要なものを失いかけた。だが、レッドストライプUSAが、彼女らを救った。ジャマイカボブスレーチームは五輪へ向けたトレーニングや準備が無駄でなかったと知り、安心して眠りにつくことができる」と伝えた。

 またUSAトゥデイもSNSでの発信が今回の支援の発端になったことを明らかにしている。

 SNSを使った支援で言えば、リオ五輪でサッカーのナイジェリアチームに資金難による移動費の不足や給料の未払いによるボイコット騒動が起きた際、高須クリニックの高須克弥院長が、SNSを使って支援を呼びかけて、実際に資金提供に発展したケースもある。

 ジャマイカチームは、当初、東京・大田区などの町工場がプロジェクトを組み製作にあたった「下町ボブスレー」のソリを使用する契約を結んでいたが、突然、この2月に契約を破棄。サンドラ・キリアシスコーチが所有するソリを使用していた。今回、同プロジェクトチームは、再度、「下町ボブスレー」のソリの無償提供を持ちかけていたが、ジャマイカチームは、レッドストライプ社側の支援にのっかったようだ。

 女子の2人乗りボブスレーは20日に行われる。

羽生のライバル・チェンぼう然 ミス連発まさかの17位「何一つうまく決められなかった」(春節、将棋)

 フィギュアスケート男子の全米選手権で計7回の4回転ジャンプを成功させているネイサン・チェン(18)は羽生のすぐあとにリンクに登場したが、冒頭の4回転ジャンプを失敗して転倒。トリプルアクセルもうまくいかず、ショートプログラムではまさかの17位に沈んでしまった。

 「こんな順位は経験したことがない。すべてこれまで通りの手順でやったが、何一つうまく決められなかった」とチェンはぼう然。羽生の演技が終了すると例によってリンクに「くまのプーさん」のぬいぐるみが投げ入れられて競技が中断したが「以前にも同じことがあって、その時はきちんと滑ることができた」と言い訳はしなかった。

 それでも米国勢期待の星だっただけに悔いが残った一日。「チームと相談して(フリーでは)最良のアプローチができるようにしたい」と語ったが、金メダルははるか彼方に遠のいてしまった。

羽生「いまは元五輪チャンピオン」 フリーは「ソチのリベンジをしたい」/フィギュア【ショートプログラム、埼玉県】

 平昌五輪第8日(16日、江陵アイスアリーナ)フィギュアスケートの男子ショートプログラム(SP)で、右足首故障からの復帰戦となったソチ五輪金メダルの羽生結弦(23)=ANA=は111・68点で首位発進した。元世界王者のハビエル・フェルナンデス(26)=スペイン=が107・58点で2位、宇野昌磨(20)=トヨタ自動車=は104・17点で3位につけた。昨年12月のグランプリ(GP)ファイナル覇者のネーサン・チェン(18)=米国=は82・27点で17位、初出場の田中刑事(23)=倉敷芸術科学大大学院=は80・05点で20位だった。

 羽生の一問一答は以下の通り。

 --演技を振り返って

 「特に不満な点もなく疑問に思うエレメンツもなかった。うれしい。自分は恵まれていると思って滑られた」

 --首位発進

 「僕は五輪を知っている。大きいことをいうなといわれるかもしれないけど、いまは元五輪チャンピオンなので、リベンジしたい。自分にとっては(ソチ五輪の)フリーのミスが4年間頑張って強くなった一つの原因だと思っている。リベンジしたい気持ちが強い」

 --冒頭の4回転はループからサルコーに変更した

 「いろいろと調整が間に合わなかった部分があるが、点数には満足している。サルコーにして良かった」

 --フリーへ向けて

 「やるべきことはやってきた。2カ月間、滑れない間も努力をし続けた。その努力を結果として出したい」