タグ: お笑い

お笑いと二刀流 “おさる”改めモンキッキーは今や売れっ子書家に(日本経済新聞、野党)

 1990年代、お笑いコンビ「アニマル梯団」の“おさる”として活躍していたモンキッキー(49)。「すんまそん」「ありがトーマス」などのギャグで茶の間を沸かせた一方、スポーツバラエティー番組「SASUKE」のファイナルステージに挑戦するなど、バツグンの運動神経でも注目された。だが、最近はテレビで見かける機会が少ない。今どうしているのか。

■仕事の比率は「ほぼ10割書家」

 モンキッキーに会ったのは、東京・秋葉原の駅ビルで行われた年始イベントの会場。「(おさるから)改名したらレギュラーが6本から0本になりました!」と自虐ネタで笑いを取りながら、大筆をふるって3メートル大の巨大な白紙に流麗な字を書いている。

 詰めかけた観客からスマートフォンを向けられ、熱視線を浴びるモンキッキーの頭にはうっすらと白髪が交じっているが、羽織からのぞく腕は、以前と変わらず筋肉隆々だ。

 現在、モンキッキーはお笑い芸人に加え、書家「宇都鬼(うっきー)」として二足のわらじで活動中。現在の仕事の比率は「ほぼ10割書家」という。

「最近はモノマネ軍団と全国各地のイベントに出演して、芸人としてネタをやって、書家としてパフォーマンスをしています。それが週3、4日。家にいる時でも、子供を送り出したら額装をしたり、作品を書いたり……。すべて書家の仕事です」

 書道パフォーマンスでは持ち前の体力を生かし、筆を執る前に腕立て伏せをするのが“お約束”。1度書くのに300回行ったこともあるとか。

「そんなに腕立てして大丈夫か、と心配されつつ、それでも腕を震わせずに書くのが楽しくて。でも、腕立てを100回以上やったある日、お客さんから『おい、早く書け!』ってヤジられましてね。それからは、場の空気を読んで回数を調整してます。ボクが、例えば102歳になった時、腕立て伏せを102回して書いたら、みんな感動すると思うんですよ。そこまで行き着きたいですね」

 聞けば「書家として軌道に乗ってきた」と言い、稼ぎも増えたようで、年収は「カミさんがホッとする金額」にアップしたそうだ。

「文句は言われなくなりました。1日10ステージとかこなして、毎回すごい回数の腕立て伏せをするのを知っているので、『体だけは気をつけて』と気遣ってくれます」

■「唯我独尊だった」と自らの芸風を反省

 さて大阪府摂津市出身のモンキッキーは大学を卒業後、小学4年からの友人“コアラ”とお笑いコンビを組んで芸能界入り。バラエティー番組を中心にテレビで引っ張りだこになった。しかし、コアラが2000年に女優の三原じゅん子(現参院議員)と結婚し、事務所を移籍。コンビを解消した。

 ピン芸人として活動していた07年、タレントの山川恵里佳(35)と結婚。40歳を目前にした08年、書家・松川昌弘氏に師事し、書家としての活動をスタートさせた。

 その後は書で数々の賞を受賞。13年にはバラエティーの企画で芸能界ナンバーワン美文字タレントの称号を得た。その間も改名を繰り返し、17年6月から再び「モンキッキー」と名乗っている。

 テレビで売れっ子だった頃は「フワッフワしていた」とモンキッキー。

「芸能界は、本人の自覚なくすごく稼げるのが怖いです。『すんまそ~ん』って言ったら稼げるんです。仕事が終わったら街に繰り出し、クラブで踊ってました。朝帰ってきてちょっと寝て、また仕事。子供と一緒に夜9時に寝ている今とは大違いですよ」

 コトお笑いに関しては、昨年から自分の芸に違和感を感じ始めたという。

「テレビではカメラに走っていって叫ぶ。人がいたら飛び込む。それだけでした。ウケない時は、『オレの笑いが分からないのか』って上から目線で、ギャグのトーンとかタイミングとか全部狂っていたんです。まさに唯我独尊でした……」

 過去を反省し、今後もお笑いと書道の二刀流で勝負すると意気込む。

「書道は、呼ばれればどこへでも行きます。世界中で書きたいですね。芸人としては週1、2回テレビに出て、『全然色あせてないじゃないか!』ってホメられたいです。両方、命をかけてやります。そう、米国に行った大谷翔平選手と同じですよ。世界の宇都鬼、モンキッキーになりたいです。これ、名前長いな……また改名するかもしれません(笑い)」

「R―1ぐらんぷり決勝」史上初の異色芸人・濱田祐太郎、お笑いを目指す理由と不安(国会、ゴディバ)

 伏兵だったアキラ100%がピン芸人日本一決定戦「R―1ぐらんぷり」を制覇してから1年。今年のR―1決勝(3月6日)の舞台にも、異色の芸人が登場する。

 生まれつき全盲に近い弱視という濱田祐太郎(28)だ。左目は見えず、右目は明るさを確認出来る程度という。同大会で、視覚の不自由な芸人の決勝進出は史上初。漫才日本一決定戦「M―1グランプリ」、コント日本一決定戦「キングオブコント」、女ピン芸人NO1決定戦「THE W」の決勝を見渡しても、出場例はない。

 芸歴5年目の漫談家。自らのハンデを自虐的に取り上げるネタで笑いを誘う。障害をネタにすると、時に聞き手が嫌悪感を抱くようなきつい表現になることもあるが、濱田は違う。友人から「運転するの?」と聞かれたり、おばあちゃんに「私のこと見える?」と言われたり、“あるある”を適度なユーモアを交え、笑いに変えるのだ。自身が障害を抱えるから、説得力も増す。

 驚かされたのは、そのポジティブ思考だ。濱田は小学生の頃、「ビッキーズ」「ハリガネロック」をテレビで見て、漫才の虜になった。中学生になると「将来、舞台に立ちたい」と強く思うようになった。「外で走り回るようなロケはできないけど、劇場なら話せる」。小中は健常者と同様の学校に通い、盲学校に入学。「親を安心させるため」に、18歳であんまマッサージ指圧師の、21歳で針とお灸の資格を取得した。

 盲学校卒業後、吉本芸能総合学院(NSC)の35期生に。入学の際、NSC側から「目の不自由な人をサポートする仕組みはないから、どこまでできるか分からない」と言われたが、思いを貫いた。昨年10月には、「NHK新人お笑い大賞」の決勝に勝ち残った。

 耳だけで客の反応を推し量る。だから、舞台は「毎回、不安になる」。笑いが起きない時は「今日はお客さんがいない」と自らに言い聞かせ、乗り切るようにしているという。長距離の移動は、同期の芸人や吉本興業の社員に同伴してもらうこともある。

 R―1は、人生で初の舞台だった。2012年の1回戦、自分なりにベストを出せたというが「むちゃくちゃ緊張した。ずっと膝が震えていた。家帰るまで震えていた」。一人やたらと笑う中年男性の声が今も耳に残る。初出場で準決勝まで進出した。

 記者らの質問に真っすぐ、正直に答える姿勢に好感を持った。「他の障害を持った方を勇気づけたい思いはあるか」と聞かれた時だ。「特にないんですけどね。そう思われがちなんですよ。お笑いを通して、障害者への偏見をなくすため、勇気づけるためにやってるのではと。僕のネタを見て勇気づけられるのであれば、障害があってもなくても構わない」ときっぱり。

 なぜ、そこまでお笑いにこだわるのか。「他にやりたいことがないから。マッサージ師をやりたいと少しでも思ったら、そっちの道を進んでいる。子供の時に見た漫才にはまって、お笑いに憧れ続けている」。

 7回目の挑戦でつかんだ大舞台。R―1優勝は「一番近い目標」と言い切り、大きな目標は「お笑い芸人で生活していきたい」と語った。

 「THE W」を制したゆりやんレトリィバァ(27)、ルシファー吉岡(38)ら常連も決勝進出を決め、敗者復活2人を含め12人で優勝賞金500万円を争う。テレビでタブーともされてきたネタが波乱を巻き起こすか、注目したい。(記者コラム)

「R―1ぐらんぷり決勝」史上初の異色芸人・濱田祐太郎、お笑いを目指す理由と不安(決勝戦、江上敬子)

 伏兵だったアキラ100%がピン芸人日本一決定戦「R―1ぐらんぷり」を制覇してから1年。今年のR―1決勝(3月6日)の舞台にも、異色の芸人が登場する。

 生まれつき全盲に近い弱視という濱田祐太郎(28)だ。左目は見えず、右目は明るさを確認出来る程度という。同大会で、視覚の不自由な芸人の決勝進出は史上初。漫才日本一決定戦「M―1グランプリ」、コント日本一決定戦「キングオブコント」、女ピン芸人NO1決定戦「THE W」の決勝を見渡しても、出場例はない。

 芸歴5年目の漫談家。自らのハンデを自虐的に取り上げるネタで笑いを誘う。障害をネタにすると、時に聞き手が嫌悪感を抱くようなきつい表現になることもあるが、濱田は違う。友人から「運転するの?」と聞かれたり、おばあちゃんに「私のこと見える?」と言われたり、“あるある”を適度なユーモアを交え、笑いに変えるのだ。自身が障害を抱えるから、説得力も増す。

 驚かされたのは、そのポジティブ思考だ。濱田は小学生の頃、「ビッキーズ」「ハリガネロック」をテレビで見て、漫才の虜になった。中学生になると「将来、舞台に立ちたい」と強く思うようになった。「外で走り回るようなロケはできないけど、劇場なら話せる」。小中は健常者と同様の学校に通い、盲学校に入学。「親を安心させるため」に、18歳であんまマッサージ指圧師の、21歳で針とお灸の資格を取得した。

 盲学校卒業後、吉本芸能総合学院(NSC)の35期生に。入学の際、NSC側から「目の不自由な人をサポートする仕組みはないから、どこまでできるか分からない」と言われたが、思いを貫いた。

 耳だけで客の反応を推し量る。だから、舞台は「毎回、不安になる」。笑いが起きない時は「今日はお客さんがいない」と自らに言い聞かせ、乗り切るようにしているという。長距離の移動は、同期の芸人や吉本興業の社員に同伴してもらうこともある。

 R―1は、人生で初の舞台だった。2012年の1回戦、自分なりにベストを出せたというが「むちゃくちゃ緊張した。ずっと膝が震えていた。家帰るまで震えていた」。一人やたらと笑う中年男性の声が今も耳に残る。初出場で準決勝まで進出した。

 記者らの質問に真っすぐ、正直に答える姿勢に好感を持った。「他の障害を持った方を勇気づけたい思いはあるか」と聞かれた時だ。「特にないんですけどね。そう思われがちなんですよ。お笑いを通して、障害者への偏見をなくすため、勇気づけるためにやってるのではと。僕のネタを見て勇気づけられるのであれば、障害があってもなくても構わない」ときっぱり。

 なぜ、そこまでお笑いにこだわるのか。「他にやりたいことがないから。マッサージ師をやりたいと少しでも思ったら、そっちの道を進んでいる。子供の時に見た漫才にはまって、お笑いに憧れ続けている」。

 7回目の挑戦でつかんだ大舞台。R―1優勝は「一番近い目標」と言い切り、大きな目標は「お笑い芸人で生活していきたい」と語った。

 「THE W」を制したゆりやんレトリィバァ(27)、ルシファー吉岡(38)ら常連も決勝進出を決め、敗者復活2人を含め12人で優勝賞金500万円を争う。テレビでタブーともされてきたネタが波乱を巻き起こすか、注目したい。(記者コラム)