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<北朝鮮>金与正氏とはいかなる人物?五輪で韓国入り、大胆な外交を展開(堺市、夢野久作)

 朝鮮半島をめぐる動きが急だ。北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長の妹、金与正(キムヨジョン)氏が平昌(ピョンチャン)冬季五輪のタイミングで韓国に飛び、文在寅(ムンジェイン)大統領を平壌(ピョンヤン)に招請した。あまりに大胆な外交、与正氏とはいかなる人物なのか? 【鈴木琢磨】

 それは2012年7月28日の夜のことだった。平壌の柳京鄭周永(リュギョンチョンジュヨン)体育館では間もなくデビューしたばかりの牡丹峰(モランボン)楽団の「戦勝節」祝賀コンサートが開かれようとしていた。会場は老兵や芸術関係者、大学生で埋められていたが、なぜか、ひとつ空席があった。しばらくすると白いシャツに黒いスカート姿の大学生らしき女性がその席に駆け込んできた。「ごめん、ごめん。遅れちゃった」。隣の金日成(キムイルソン)総合大学の男子学生らに謝りながらも、楽しそうに言葉を交わし、幕が上がるのを待っていた。それが与正氏だった。

 以上のエピソードはかつて金正日総書記の料理人だった藤本健二氏から私が聞いたものだ。与正氏の席が家族でコンサートに招かれていた藤本氏のすぐ前列だったのでよく覚えていたのだ。幼少時代の正恩氏や与正氏の遊び友だちでもあり、彼の証言ほど重要な情報はない。藤本氏によれば、与正氏は幼いころから周囲に「コンジュニム(お姫さま)」と呼ばれていたという。金総書記にとって高英姫(コヨンヒ)夫人との間にもうけたたったひとりの娘であり、家族で食事をするときは決まって総書記の左横に座らせたほどの溺愛ぶりだった。「ものすごく闊達(かったつ)で、底抜けに明るく、いわゆるおきゃん娘ですよ」。そう藤本氏は与正氏を評した。乗馬が好きで、ダンスも習っていたそうだ。

 そんな与正氏が青瓦台(大統領府)に乗り込んだ。金永南(キムヨンナム)最高人民会議常任委員長ら高位級代表団の一員とみられていたが、文大統領との会談場には青いファイルを携えて入った。そしてテーブルにそっと置いた。「朝鮮民主主義人民共和国国務委員長」とあった。そう、彼女は代表団の一員でありながら、兄の親書を携えてきた「特使」だったのだ。1987年9月生まれとされるから、30歳になったばかりなのに父ほど年齢差のある文大統領に、握手はしても頭を下げない。きりっと正面を見つめ、威厳を保とうとしているのがわかる。また、空港の貴賓室で90歳の金永南氏が与正氏に先に座るよう促すしぐさをするなど、彼女が特別な存在であることをうかがわせた。

 私が目を見張ったのは与正氏が青瓦台の芳名録にしたためた文章だった。<平壌とソウルがわれわれ同胞の心の中でより近づき、統一繁栄の未来が早く訪れることを期待します>。正恩氏は父と同じく右斜めに文字を書く「白頭山(ペクトゥサン)書体」と呼ばれるスタイルだが、それとはまるで違うものの、存在感ある独特の書体だ。しかも一国の指導者のような言葉である。いくら金ファミリーゆえのスピード出世で、党中央委員会政治局員候補、党中央委員会第1副部長の肩書を持つとはいえ、兄の補佐役にとどまらないパワー、すごみを感じさせる。実際、父の金総書記は正恩氏と与正氏が政治に関心があり、どちらかを教育して後継者として育てると語っていたともいわれる。

 ところで、平昌五輪の舞台、江原道(カンウォンド)は南北に分断された道(県に当たる)である。北朝鮮側にある港湾都市、元山(ウォンサン)は金ファミリーと因縁が深い。09年4月26日、正恩氏は父と元山農業大学に赴く。初めての公式現地視察だった。後継者デビューする1年以上も前である。兄の正哲(ジョンチョル)氏と与正氏も同行したとされる。当時、朝鮮中央通信が配信した写真に偶然なのか、2人とおぼしき人物が写っていたからである。手元にある「朝鮮大百科事典」(朝鮮百科事典出版社)によれば、元山農業大学は48年に金日成総合大学の農学部を母体に初の農業大学として創立された。金日成主席はじめ、妻の金正淑(キムジョンスク)夫人が幼い金総書記を連れ、建設前の敷地を見て回ったとも記されている。構内に建つ巨大な事績碑には金主席のこんな教示が刻まれている。<……農業大学は人民たちに白いご飯に肉のスープを食べさせ、絹の服を着させるための重要な役割を果たすのだということを肝に銘じ、有能な技術幹部を多く輩出しなければなりません>

 金総書記がわざわざ3人の子供と元山農業大学に足を運んだのは偶然ではないだろう。前年の夏、総書記は脳卒中で倒れている。人民の食糧問題を解決しなければならないとの強い思いを伝えておきたかったに違いない。核・ミサイル開発が遺訓だとしても、国際社会からの制裁が続けば、いずれ食糧問題が政権を揺るがしかねない。平昌五輪への参加を表明した正恩氏の新年の辞に続き、兄の名代としてソウルで外交デビューをはたした与正氏。2人は元山農業大学での祖父、そして父の教えを思い出したのかもしれない。迫りくる危機の突破口が南北融和ムード醸成であり、そのハイライトとして南北首脳会談を見据えているはずである。

 気がかりなのは平昌五輪後だ。核・ミサイル問題をうやむやにしたまま南北首脳会談へ突き進めば、米国がブレーキをかけ、北朝鮮も挑発モードに戻るのではないか? この冬、ソウルで会った進歩派の元新聞記者は、あっけらかんと南北首脳会談までのシナリオを語っていた。昨年秋から中国で南北当局者が水面下の接触をしていたというのである。彼のシナリオが現実のものになりつつあるのだろうか。私はもうひとり、韓国保守政界の長老が苦々しい表情で口にした言葉を思い出した。「文政権はポピュリズムに走りすぎだ。南北首脳会談を実績にしたいのだろうが、政治の素人が多いから心配している」

 11日夜、ソウル・南山(ナムサン)にある国立劇場で「三池淵(サムジヨン)管弦楽団」の公演があった。終幕近く、元歌手で楽団を率いる玄松月(ヒョンソンウォル)団長が飛び入りでステージに上がり、持ち歌の「白頭と漢拏(ハルラ)はわが祖国」を熱唱した。白頭は革命の聖地とされる北朝鮮の白頭山、漢拏は韓国の南に浮かぶ済州(チェジュ)島の火山である。♪白頭と漢拏が互いに手をとりあえば 三千里がひとつとなる統一よ……。文大統領と並んで観覧席にいた与正氏は、この歌をどう聞いたのだろう。なぜなら、父は白頭山で生まれたとの伝説があり、母は元在日帰国者で済州島にルーツがあるからだ。平壌に戻った翌12日に与正氏は正恩氏に韓国での活動を詳細に報告した。公開された写真を見ると、与正氏は兄の腕をぎゅっとつかんでいた。「コンジュニム」から脱皮し、激烈な国際舞台に躍り出た与正氏は、兄と二人三脚で朝鮮半島をどこへ向かわせようとしているのか?